< 第 4 章 >
父を送って-中国太原の旅
   
 

 去る6月27日(執筆時2006年)、父・楊名時の一周忌法要を鎌倉の東慶寺で無事執り行いました。身内の法事として、ごく一部の役員の方にもご出席いただきましたが、そのほかにも、命日を挟んでたいへん多くの方が墓前で手を合わせてくださり、各地の教室でも師家の冥福を祈り黙祷を捧げてくださったと伺いました。また、ありし日の師家を偲んでくださった方もたくさんいらっ しゃったことと思います。賑やかなことが好きで、寂しがりやでもあった父にとっては何よりのことでした。ほんとうにありがとうございました。この場をお借りして改めて御礼申し上げます。

  さて、法要から2日後には成田空港から82名の会員の方々といっしょに中国に向け出発しました。これは、太原で行われる海外交流会が主な目的でしたが、父を、生まれ故郷の五台山に送る旅でもありました。
  私たち東京組一行は現地時間の午後1時半頃、北京空港に到着しました。関西組はすでに前の便で出発した後で、私たちは5時10分発の太原行きに乗り継ぎ、7時頃には目的地のホテルで関西組と合流して夕食会という予定でした。 それまで空港内で皆思い思いに売店をのぞいたり、お茶などしながら楽しんでいたところ、その便が1時間遅れになると知らせがありました。  

 そうこうしているうちに、にわかに雲行きが怪しくなり、空も割れんばかりの雷鳴が轟いてきたのです。すべての便が運行停止となり、結局、私たちの搭乗手続が始まったのは北京到着から九時間後の午後11時少し前でした。私には、「これだから飛行機は嫌なんだよ」という父のつぶやきが聞こえるようでし た。  

 旅行初日からとんだハプニングに見舞われたわけですが、会員の方々はどなたも内心の不安や不満を表に見せることはありませんでした。中には、時間つぶしにビールを飲みだすツワモノもいて、しまいには空港中の飲み物も食べ物 もすべて売り切れになるという有様でした。  そんなこんなで、私たちがホテルに到着したのは午前1時過ぎ、照明もすでに落ちていました。ところが、その暗がりの中から「こんばんは。お疲れさまでした!」という広島県支部長の明るい声がしました。なんと、今回中国でお世話になった馬先生をはじめ、何人かの関西組の方々が私たちを出迎えてくれたのです。私たちも疲れを忘れ、思わずニコニコしていました。  

 そのとき、ふと思い出したのは2年前の出来事でした。調布太極拳同好会の20周年記念大会に、師家といっしょに招かれたときのことです。家から手配したタクシーで会場に向かったのですが、運転手の地理不案内のせいで予定の時間を過ぎても一向に着けません。私も運転手もあせりました。しかし師家は、 「あわてなくてもいいですよ」と悠然としているのです。なんとか会場の調布市総合体育館にたどり着いたときには、すでに開会予定時刻を1時間以上も過ぎていましたが、調布太極拳同好会を指導される中野完二師範をはじめ何人かの方がにこやかに出迎えてくれたのです。師家と中野師範は、まるで何事もなかったように挨拶とねぎらいの言葉を交わしました。  そして師家が会場に入ると、会員の皆様の暖かい拍手と笑顔が待っていました。  

 自分の力ではどうしようもない状況に巻き込まれたとき、待つ側も待たせる側も相手の気持ちを思いやって、不安やいらだち、あせりといったマイナスの感情に支配されがちです。しかし、迎えてくれる仲間の暖かい笑顔と、迎えられた仲間の喜びの笑顔が、一瞬にしてそうした感情を氷解してくれます。心の通じ合える仲間同士が無言のうちに分かり合えるすばらしさ、そして、太極拳特有のゆったりとした時間の流れの中で培われた「同心協力」の精神が、しっかりと根づいていることをつくづく感じました。  

祟善寺 そんな始まりでしたが、太原の祟善寺において師家の法要もりっぱに執り行われ、また太原毛明春三圓内家拳研究会との交流会も盛会のうちに終えることができました。そして、父の遺骨は故郷の五台山に無事納められました。皆様のご尽力のお陰と深く感謝しております。ありがとうございました。  

 ところで、今頃父は、「これでもう飛行機に乗らなくていいね」と胸をなでおろしているのでしょうか。

 

 

  page top
「師家の志を継いで」 メニューページに戻る
HOME商品カタログ|ご注文方法お問い合わせ楊名時太極拳事務所