< 第 2 章 >
「一以貫之」―変わらずに大切にしたいもの
   
 

昨年(※2005年)10月、皆様の同心協力によって東京・神田に建てられた本部道場会館(楊名時太極拳記念会館)も、いよいよ本格的に動き出しました。1階の展示室や四階の談話ロビーには、帥立志先生の書や陶瓶、父の好きだった関羽様の像などが運び込まれ、趣あるものになりました。2階の大稽古場にも師家の写真が飾られ、いつも私たちを見守っています。会館にお寄りの際はぜひご覧ください。また今年2月からは、「本部道場講座」も本格的に始まりました。今回は、その一つである藤岡純子師範担当の講座に入会された方のお話です。

 今から33年前、その方がまだ19歳の頃、日本武道館で楊名時師家から直接太極拳を習われたことがあるそうです。一年ほどで太極拳から離れ、その後は柔道や空手を続けていたが、体を壊したこともあり、何か適当な運動はないものかとインターネットで調べていたところ、協会のホームページを見つけたとのことでした。そこで本部道場竣工を知り当時を懐かしく思い出し、再び太極拳を始めたいと入会されたそうです。

師家の志を継いで  その方は初稽古の後、「この教室に参加してほんとうによかった。稽古の手順もゆったりとした流れも武道館時代とまったく変わらず、当時と同じ空気、志を感じた。楊名時先生は残念ながらいらっしゃらないが、とてもほっとしたし、うれしかった」と藤岡師範におっしゃったそうです。
  今でこそ太極拳は健康法として広く認知されていますが、当時はまだ武術としての面が重視されていました。そうした風潮の中で師家は、一貫して太極拳をすぐれた健康法として指導されてきました。
  私たちの協会は、楊名時八段錦・太極拳友好会を母体としており、教室は1967年の武道館教室から始まりました。その40年前と変わらない「同じ空気」と「同じ志」。立禅から始まってスワイショウ、八段錦、そして太極拳を演舞する。このスタイルを半世紀近くも保ってきたということはすごいことであると同時に、極めて優れた体系であるからこそ残ってきたといえるでしょう。

  相模原武道学園・学園長だった故吉川嘉之先生もおっしゃっています。「…何よりも驚くことは当時と今と少しも指導理念が変わっていない、という事です。あの頃(日中友好条約締結の前)太極拳は武術だといってあとへひかない風潮がありましたが、そのなかにあっても楊先生は今と変わらず、『太極拳は健康法だヨ』と平気で主張してきました。…稽古の初めや終わりの深々とした礼は素晴らしいな、とよく思うし、つくづく日本人の機微をしっかり捕らえているなと感心することです。」(『道はるか―楊名時太極拳に学ぶ吉川嘉之師範と仲間たち』序文より、1995年刊行)

  太極拳の捉え方はさまざまですが、楊名時太極拳では、柔軟な心と身体をつくる健康法として捉えています。健康あっての人生なのだから、健康を主体とした太極の道をみなさんといっしょに歩んでいきたいというのが、父、楊名時の願いでした。人と競い合って優劣を決めるのではなく、一人ひとりが自分の内で、自分の体で、心息動のバランスをとっていく。そして、みんなが幸せな気持ちになり、和をつくること。そのためにも健康であることが大前提になるということですね。

  また、師家は「一以貫之」―孔子様の道は忠恕あるのみで、それに貫かれている。忠恕は和に通じる。楊名時太極拳を貫くものは、和の心であるとよく話していました。大事なことは変えてはいけないということ、これからも大切にしていきたい言葉です。よい方向になら、時代や環境による変化も大いに歓迎すべきだと思います。姿勢正しくまっすぐに立ち、より健康に動くために、武術的な解釈や基本を学ぶことも大切です。しかし、楊名時太極拳の根底に流れるものは、変えることなく大事にしていかなければなりません。こうした師家の思いを、記念会館を拠点として、皆さんと一緒に子や孫、後々の人たちに伝えていきたいと願っています。

 今回ご紹介させていただいた方は、変わらなくてよかったと言いながらも、「一つだけ変わったことがある」とおっしゃいました。「武道館当時は畳敷きだったが、本部道場は板敷きなので足が運びやすい、床に吸いつくようですばらしい」と。2回めからは奥様といっしょに参加されているとのことです。楊名時太極拳の輪―和が、また広がります。
謝謝。そして再見。


 

 

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