< 第 12 章 >
藤井博先生のお話
   
 

 毎週金曜は、NHK青山文化センター太極拳教室の日です。その行き帰りの地下鉄で、この教室に参加されている藤井博先生とよくごいっしょします。その藤井先生に、太極拳の事始め、師家との出会いや思い出などを伺いました。
翁
《太極拳を始めたきっかけは?》
  始めたのは60歳くらいで30年ほど前だ。大好きなゴルフでギックリ腰になり、代わりに絵を習い始めたところ、よけい悪くなってしまった。困っていると、絵の仲間が楊名時太極拳を習っていて「なかなかいい」と勧められ、たまたま事務所の階下にあったこの太極拳教室に入ったのがきっかけだった。
  始めてみると、ほんとうに半年で腰がすっかり良くなった。ほかにも色々試してみたが、自分にとっては太極拳が一番良かったようだ。

《その頃の楊名時師家の印象は?》
  とにかく記憶力のいい、頭の切れる人だった。特に印象に残っているのは、感情の乱れがないということだ。誰でもイライラしたり、嫌なことがあれば感情が表に出るのに、楊先生は絶対に出さなかった。「先生」という風格があり、茫洋とした雰囲気を持っていて、神秘性を感じさせた。
  日本に来てから並々ならぬ苦労をされ、腹の立つことや苦しいこともあるだろうに、我慢しているのかと思うと、かわいそうな気すらした。それを乗り越えてきたことが、感情を表に出さずにぐっと抑えられる強い人にさせたのだろうと思った。 (実は若い頃の父は、正義感から熱くなって人と喧嘩になることも時々ありました。慧)

《なぜ太極拳を続けてこられたのか?》
  当時はまだ、楊名時太極拳がすんなり受け入れられる風潮ではなかった。私も物足りなさを感じて武術太極拳を習ったり、太極拳の理論なども勉強したことがあった。それでも楊名時太極拳を続けてきたのは、楊先生という人物にすごく惹かれていたからだ。
  でも、今この歳になって初めて、楊名時太極拳はいいものだとしみじみ感じている。人と比べない、競わない、そして型にはめない。これは、老人や体の弱い人にとってほんとうにいいものだと思う。若くて元気なうちはいろんなことをすればいいが、高齢になったり、運動経験が少ないけれど何かしなければと思っている人にとって、長く続けられるものはなかなかない。私はこの太極拳を続けてきたことで、いい仲間に出会うことができた。多くの仲間と接するということで体も元気になるし、脳も刺激を受ける。お陰で、この歳になっても地下鉄に乗り、教室に通うこともできる。 (父の人生も、たくさんの仲間と出会い、支えられてきたのだと、しみじみ思います。慧)

《師家との思い出は?》
  20年以上前だと思うが、楊先生はいろんな夢を語っていた。山西麺の料理を出す店をやりたいとも言っていたし、中国の書画を集めた美術館のようなものを持ちたいとも言っていた。あの頃は太極拳も普及の過渡期で、大変なことがたくさんあったと思う。その後も、協会の法人化や会館建設基金の問題などで公私にわたり楊先生の相談にのっていたことを思い出す。 (ぎょうざや山西麺は父の得意料理で、よく作ってくれました。慧)

《今一番の楽しみは?》
  太極拳を習い始めて、ゴルフと共通点の多いことに気づいた。スイングのタイミングが太極拳の重心移動と同じだった。お陰でゴルフも上達した。昔は一日置きくらいにゴルフをしていたが、今でも週一回は楽しんでいる。ゴルフと太極拳は動ける限りやっていきたい。それが一番の楽しみだ。

《いつもお元気で、はつらつとされているが》
  そんなことはない。この歳になると毎日毎日が自分自身との闘いだ。夜になれば脚がつるし、風邪も引きやすくなった。やはり自分の体を管理していくのは大変なことだ。

  こう語る藤井先生は今年(※執筆時2008年)で92歳、私の受け持つ教室では最高齢の方です。でも大層お元気で、美しい銀髪によく似合う華やかなウェアで優雅に太極拳を舞う姿は、ほんとうにカッコよくて、すてきです。  師家は、公認会計士でもある藤井先生にいろいろなことを相談し、頼りにしていたようです。協会の法人化も本部会館の建設も、藤井先生のお知恵とご尽力なくしてはこれほど順調にいかなかったのでは、と思います。法人化後は初代の監事として、同役の私も大層助けていただきました。  私は、今日も日本中の教室で楽しく稽古されている藤井先生のような方々が楊名時太極拳の道しるべだと思っています。これからも出会いとご縁を大切にしなければと、改めて気づかせていただきました。
謝謝。

 

 

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