< 第 11 章 >
以和為貴
   
 

 今年(※執筆時2007年)8月も終わりの頃、太宰府天満宮から一通の封書が父宛てに届きました。大宰府天満宮宝物殿に納められている楊名時師家の書を、書画集『平成の餘香帖』第五巻に収録したというご案内でした。この全十二巻に及ぶ書画集は、2002年の菅原道真公御神忌千百年大祭の記念行事として編纂され、日本を代表する各界人士が献納した作品をまとめたものだそうです。百年前の千年大祭に際して編纂された『餘香帖』は、明治維新の元勲を始め、文人、画家など当時のそうそうたる大家が網羅され、まさに明治時代を象徴したものになったといいます。
 
  師家が書を献納することになったのは、福岡県支部の設立記念大会(2002年9月22日)に際して、太宰府天満宮本殿広場で太極拳を奉納演舞することになったというご縁からでした。その年の1月に私も博多へ行く機会があったので、奉納演舞が行われる場所を見てみようと思い立ち、太宰府天満宮を訪れました。それから1ヶ月ほど後の梅がほころび始めた頃、奉納演舞されるのならば師家の書もいっしょに納めてほしいという案内状が天満宮から届きました。りっぱな箱に入った3枚の大判の色紙を受け取ったときの驚きを、今も憶えています。

同心協力 師家は色紙を前に「私の書が日本を代表する方々と並んで由緒ある天満宮の宝物殿に納められてもよいものか」と少し臆したようでしたが、私は「これまでの活動が認められた証でもあるし、よい記念にもなるから」と献納を勧めました。師家に頼まれて、書にする言葉を選び、墨を摺り、書き終えるまで側で見ていました。悩んだ末に師家が選んだ言葉は「以和為貴 同心協力」と「自他共栄 同心協力」でした。初めの一枚を献納し、もう一枚は手元に残しましたが、現在は本部道場会館展示室に陳列されています。献納した書を持つ師家を私が撮影した記念写真もいっしょに展示されています。会館にお越しの際には、ぜひご覧ください。

  献納した書の「以和為貴(和を以って貴しと為す)」は、聖徳太子が定めた十七か条の憲法の第一条として有名な言葉です。この条令は、和の精神をもととして、儒教・仏教の思想を調和し、君臣の道、諸人の則るべき道徳を示したものと言われています。国を治める根本の規範としたものが「以和為貴」で、皆さんもご存知のとおり、師家が機会あるごとに好んで引用し、また自らの信条、座右の銘としていた言葉でもあります。
  「人の和はすべてを円満に運ぶもとだ。稽古のとき、みんなの健康と幸せを真心こめて誠心誠意お祈りすれば、教室に目に見えない和の気が満ちてくる。その和の気がみんなの和の気と呼応し、気を守り、深める。だから、太極拳を修めるうえで和の気を大切にするように」と、師家は繰り返し話していました。
  また、『太極』(第107号)の巻頭文の中で、「太極拳で一番強調したいのは、やはり心の和、和の心である。和の心こそ、私どもの財産である。では心の和とは何であろうか。私は、『健康・友好・平和』を願う心であると信じている」と述べています。  「健康・友好・平和」を願うことから生まれる心の和は、やはり健康であればこそのものです。健康な心には他人を思いやる余裕ができ、自然に人の輪を広げます。和は輪に通じ、太極拳の円運動につながります。太極拳・八段錦とともに楊名時太極拳の大切な基盤である百花拳を、みんなで輪をつくって演じるとき、私は「和=輪」であることを実感します。

 こうして時を積み重ねた今日、師家亡き後も日本中に、さらに世界中に楊名時太極拳の「輪」は広がり続け、大きな流れとなっています。師家が先導してきたこの大きな流れは、ある時には険しい岩にさえぎられ激しい流れになり、またある時にはいくつかの支流に分かれることもあるかもしれません。しかし、最終的にゆったりとした大きな流れになればよい、そのように師家は思っていたのではないかと、私は受け止めています。私自身は、師家が志した太極拳の道をできるだけ忠実にたどり、自分の歩幅に合わせてゆっくりと歩んで行きたいと考えています。
  師家はすでにこの世を去りましたが、その作品が時代の証となり永く残ることは、私ども家族はもとより、協会にとってもたいへん名誉なことと思います。師家に代わって太宰府天満宮の宮司様にお礼状を差し上げ、師家が2年前に他界しましたことをお知らせいたしました。
謝謝。

 

 

  page top
「師家の志を継いで」 メニューページに戻る
HOME商品カタログ|ご注文方法お問い合わせ楊名時太極拳事務所